昭和19年、戦時下において設立した
「興亜工業株式会社」から始まる日本土建の歴史。
現在に至る歴史の中で、私たちは戦災復興工事や
県土振興発展工事をはじめ
数多くの土木・建築工事を通じて
社会基盤づくりに貢献してきました。
その歩みを、歴史の1シーンとともに
振り返ります。
今から遡ること、昭和19年4月26日、当時の企業整備令によって企業の統廃合や系列企業合併といった動きが目立つ中、三重県内にひとつの新会社が誕生しました。それが日本土建の前身「興亜工業株式会社」です。興亜工業は平田竹松、大橋清、葭葉正之助、辻井政之助、西村又吉、江藤武助らを発起人とし、県内16の企業の統合によって誕生。津市新立町津1377番地に本社を構え、資本金19万8千円から事業をスタートしました。
終戦後、戦災復興工事にともない土建ブームを迎える一方で、GHQ(総司令部)による民主化政策により、戦時中に設立された各種団体の多くは解散を余儀なくされました。興亜工業も同様に再びゼロからの出発を迎え、さまざまな事情から会社を離れる者もいましたが会社再建を決意。昭和21年9月1日、それまでの興亜工業から商号を改め、新生「日本土建株式会社」として再スタートしました。「日本土建」は、その名が象徴するように、国土復興に向けての意気込みが込められて付けられた商号です。
建設業を生業とする日本土建にとって、地域社会づくりはもとより、災害時の対応も重要な社会的使命のひとつです。昭和28年には、死者50名・被害総額600億円もの甚大な被害をもたらした台風13号の爪痕からの災害復旧に尽力。その後も数々の災害復旧工事を手がけ、昭和57年に三重県下を襲った台風10号と大雨による被害からの復旧工事の際には技術職員を派遣。その労をねぎらい、三重県知事から感謝状が授与されました。
昭和40年代~50年代にかけて高度経済成長期はピークを迎え、日本土建も数多くの土木・建築工事を手がけました。戦後復興を経て、その役割は「人々が安心して暮らせる社会」の実現に向けた社会基盤づくりへと進化しました。以下は、昭和40年~50年代における当社の代表的な施工実績です。土木工事長ヶ逆調整ダム築造工事、櫛田川祓頭首工改良工事、松阪港港湾改修工事、パールロード建設工事など建築工事三重食糧事務所新築工事、三雲中学校および屋内運動場新築工事、津市立国民宿舎「御殿場荘」新築工事など
昭和50年10月、近畿自動車道伊勢線(関~久居区間21.1km)が開通しました。名古屋市を拠点に、四日市・津を経由して伊勢市を終点とする近畿自動車道伊勢線の一部として建設されたものです。10業者・5共同企業体が施工にあたり、当社は「安濃工事」「芸濃インターチェンジ工事」を担当しました。続く久居~勢和区間においても「岩倉高架橋工事」「久居工事」「嬉野工事」を担当し、全長68kmの伊勢自動車道開通に大きく貢献しました。
昭和60年代に入ると、国・県等による積極的な予算編成がおこなわれ、公共事業はもとより民間工事も活発な動きを見せるようになりました。それにともない、日本土建もそれまでの公共工事主体の事業から民間工事の施工を数多く手がけるようになりました。以下は、昭和60年代以降における当社の代表的な施工実績です。土木工事「太陽の街」造成工事、鈴鹿川庄野護岸および護岸災害復旧工事、三重交通「パークタウン学園前」造成工事など建築工事紀宝町老人福祉センター新築工事、三重県経済連集中精米所新築工事、三重大学薬学総合センター新築工事など
IT技術やAIの進化・普及にともない、
建設業者としての在り方さえも問われる
これからの時代。
日本土建は新たな取り組みに積極的に挑戦し、
「街づくり」を通じて
今まで以上に人々が安心して暮らせる
豊かな地域社会の実現をめざします。
日本土建の施工工種は、土木・建築工事をはじめ舗装工事、管工事、鋼構造物工事、しゅんせつ工事、造園工事、水道施設工事など多岐にわたります。同時に、創業時から「安全第一」を徹底し、積極的な安全衛生管理の推進に努めています。昭和48年には安全衛生を所轄する部署として労働課を設置。その後、昭和51年に安全課に改称し、現在は安全環境室として「安全施工サイクルの完全実施」をはじめとした10テーマにもとづいた安全管理および衛生教育活動に取り組んでいます。
近年の建設業界においては、国土交通省が推奨する「建設現場におけるICTの活用」に代表されるように建設ICTやAIといった新たな技術の導入・普及が進んでいます。たとえば重機の遠隔操作なども、そう遠くはない未来のことです。一方で、建設業は日本の基幹産業であり、特に公共事業は景気浮揚対策や豊かな生活を実現する手段として期待されています。総合建設業を主力サービスとする当社も、その役割を果たすべく時代の潮流に乗り、最新技術の開発をはじめ技術の研鑽に努めています。
今後、建設ICTやAIの台頭・普及・進化が予測される中、企業として存続し続けるためにはそれらの情報を高い感度でキャッチし、いち早く取り組んでいくことが大切です。その一環として令和2年、新たにIT委員会を設立し、令和3年にはデジタル戦略企画推進室へと組織化いたしました。ITを活用した新技術の開発や、社内の通信インフラの再構築などを目的に日々活動を行っております。また、それらの取り組みは当社が標榜するSociety5.0やSDGsの推進にもつながると考えています。時代のニーズにあわせて柔軟に変化することで、私たち日本土建はこれからも豊かな地域社会の実現に貢献していきます。
日本土建は、
これからも地道に、着実に、
地域との絆を深めていく