1994年入社
建築部工事課
1992年入社
建築部工事課
施工図担当
1996年入社
建築部工事課
設備担当
子どもたちが誇りを持って安心して暮らせる施設をつくりたい。そしてその施設は“木”でつくりたい。そんな思いからスタートしたのが「東紀州こどもの園」プロジェクトです。施設のデザイン監修を手がけたのは、日本を代表する建築家・隈研吾氏が率いる隈研吾建築都市設計事務所。今まで経験したことのない、多くの曲線が用いられた独創的な意匠をカタチにするまでのストーリーを紹介します。
木谷:発端は、エレコム株式会社の創業者で取締役会長の葉田氏による働きかけです。葉田氏が代表理事を務める公益財団法人では、以前から子どもたちへの支援活動をおこなっており、その一環として本プロジェクトが始動しました。子どもたちが安心して暮らせる施設をつくりたいという思いのもと、三重県・東紀州エリアで初となる児童養護施設と児童家庭支援センターを併設した「東紀州こどもの園」を建設することが決定しました。
中谷:当社は、日本土建・榎本特定建設工事共同企業体(JV)として参加しました。プロジェクト内での役割ですが、木谷さんは予算や人員を管理する「作業所長」、木下さんは照明や空調など設備の施工管理を担う「設備担当」、そして私は、設計図に基づく施工図面の作成を担う「工務担当」を務めました。
木下:このプロジェクトの大きな特徴が、隈研吾建築都市設計事務所がデザイン監修を担当する建物である点です。もともと、三重県特産のスギやヒノキを使用するというアイデアがベースにある中で、木造建築において実績が豊富な隈研吾氏に依頼したと聞きました。意匠設計は同事務所が監修し、その他の設計・監理はアスカ総合設計が担当でした。
中谷:プロジェクトを知ったのは、見積もり依頼を受けたタイミングでした。その時点で、木材のルーバーが特徴的な、いわゆる「隈研吾スタイル」のデザインがパースや模型で示されていました。まだ受注が決まっていない段階でしたが、複雑な3次元構造の施工は難しいだろうと思いました。それ以外の細部へのこだわりも随所に感じられ、「これは一筋縄ではいかないな」と直感しましたね。
木下:私は設備担当なので、最初に目を通したのが設備図面でした。設備に関しての第一印象は、プロジェクトの物量や施工レベルを考えると困難を極めるものではないと感じましたが、隈研吾氏がデザイン監修に関わるとなれば、意匠デザインへの強いこだわりが予想されます。それを念頭に建築図面にも目を通したところ「思った以上に大変かもしれない」という思いがよぎりました。
木谷:私は、社内の事情もあって本プロジェクトには途中から合流しました。ですから、合流時点でプロジェクトは進んでいるわけですが、すでに変更や修正が何度もおこなわれていたことに驚きました。その様子に、みんなと同じで「なかなか大変なプロジェクトだな」と思ったのが第一印象です。もちろん、それに比例してやりがいも大きいだろうという期待感も抱いていました。
中谷:建物の意匠デザインをどのように実現していくか、という部分に尽きます。まず、大前提として木材への強いこだわりがありました。たとえば、木材の表情や質感を活かすため、木目が映えるように何度も塗装を調整しました。微妙な色味の違いで手直しが必要となり、場合によっては実物大のモックアップを作成し確認することもありました。また、その都度図面の修正も求められます。体感ですが、今までの仕事の中でもっとも多くの施工図を描いたと思います。
木下:設備担当としては、意匠デザインを損なわずに設置するための調整が課題でした。設計図には基本方針のみ記載されており、意匠とからむ詳細・具体的な取り付け方法は示されていません。しかし、照明やエアコンの設置時に意匠へ配慮する必要があるのは明白でした。そのため、たとえばルームエアコンは壁付けが一般的ですが、ニッチを作ってそこに設置したり、排水桝も砂利で目隠しをしたりと、景観を損ねない設置方法を試行錯誤しました。
木谷:私は、現場で作業する業者の方々をどのようにモチベートするかに悩みました。現場が動いている中で、変更指示を出さざるを得ない場面もあり、そのたびに少なからず不満を感じている様子が見受けられたんです。しかし、修正作業をしなければ次の工程に進めず、全体のスケジュールにも影響が出ます。そこで仕事の話だけではなく世間話を交えながら現場の空気を和ませるよう努めました。また、早朝の現場に足を運び、作業開始前に下準備を整えたり、声がけをすることも心がけました。小さなことですが、今まで以上に業者の方々と信頼関係を築くことがプロジェクト成功の鍵になると思い行動しました。
中谷:私が思う大きな要因のひとつは、木谷さんが諦めなかったことです。先ほども話していたように、「なんとしてでも現場を盛り上げる」という木谷さんの姿勢が、プロジェクト全体にポジティブな影響を与え、チーム全員が最後まで頑張り抜く原動力になったのではないかと思うんです。
木下:私もそう思います。誰かが諦めずに前向きでいると、周りの人も自然と刺激を受けてやる気が出ますよね。逆に、ネガティブな雰囲気が広がると、全体の士気が下がります。そういう相乗効果が、チームの成果にも影響しますよね。私たちの仕事も、協力会社の支えなしでは成り立ちません。木谷さんが現場を盛り上げてくれたおかげで、みんなが最後までやり遂げることができたと思います。
木谷:ありがとう!でも、二人の貢献がなければプロジェクトは進まなかったと思います。木下さんは、設備業者との調整を的確におこなってくれました。おかげで全体の流れがスピーディーになりました。そして中谷さんは、プロジェクト後半はほぼ常駐のような形で現場を支えてくれました。現場の方々から「中谷さん!」と頼られる姿も何度目にしたことかわかりません。一番苦労を抱えていたはずなのに、その姿を見せずに最後までやり遂げた姿勢は、まさにMVP級の活躍でした!木下さんも中谷さんも、それぞれの持ち場で最大限の力を発揮してくれたからこそ、みんなが一丸となってゴールまでたどり着けたのだと思います。
木谷:実は年末時点で、さまざまな要因が重なり工期の延長をお願いしていました。そこで提示された延長期間は1ヶ月。これまでの進捗状況や進行スピード、現場のメンバーのモチベーションなど、さまざまな要素を総合的に判断し、「この期間でやり切る」という明確な目標を設定しました。それこそ、チーム全体の集中力と士気を高める最善の方法だと考えたんです。この決断が功を奏し、全員が頑張ってくれたおかげで計画通りのスケジュールに間に合わせることができました。
中谷:打ち合わせが思うように進まず、作業のやり直しが発生する中でモチベーションを維持するのは大変です。しかし、以前にも難易度の高い案件で試行錯誤した経験があるため、知らないうちに耐性がついていたのかもしれません。一切の妥協を許さずに仕事に取り組む姿勢は、全員に共通する「いいものを作りたい」という思いから来ていると素直に受け止められました。皆が目指す方向性は同じですので、私もその方向を向いて進んでいくことができました。
木下:私も、業者さんへの接し方かな。現場の方々がやる気を失うと、仕事として成り立たなくなりますよね。モチベーションをどう保つかについては、木谷さんと考えが一致しているかもしれません。たとえば、何かお願いをする際に「昨日も無理なお願いをしたし、連日無理を強いるのはどうだろう」と考え直し、その日は指示を出さないこともありました。そうした気遣いが現場の雰囲気を和ませ、結果的に業者さんのモチベーション維持にもつながったと思います。
中谷:今回、建物の形状が非常に複雑でした。その点から、今後は三次元的な視点を持つ必要性を強く感じています。働き方改革やDXが進むなか、建築業界でもBIM(ビルディング・インフォメーション・モデリング)を用いて設計や施工を進める流れが確立されています。私たちもその方向に舵を切り、しっかりと力を注いでいくことが求められていると思います。
木下:当社の設備担当は、複数の現場を同時に受け持つため、それぞれの建物の用途や設計者の考え方に適応しなければなりません。今回のプロジェクトでは、今まで経験したことのない、新しい設計者の思いに触れることができ、自分の中の引き出しが増えたように感じています。より多様な視点やアプローチを持つことは、今後の業務にも大いに役立つと思います。
木谷:自分一人ではどうにもならない場面が多く、改めて人を頼ることの重要性を痛感しました。普段はひとつの仕事が終わると「お疲れ様」と声をかけてもらい、自分でも「やり切ったな」と感じることが多いのですが、今回はそれとは違いました。「みんなに助けてもらった」という思いが強くあります。チームの支えがあったからこそ、ここまで来られたのだと実感しています。
中谷:今回手がけた建物は、社会に対して非常に大きな役割を果たすものだと思います。そのようなプロジェクトに携われたことは、日本土建にとっても大きな財産ですし、社会貢献という観点からも意義のある取り組みだったと思います。
木下:三重の木コンクールへの応募、近代建築雑誌への掲載など、私が想像していた以上にこのプロジェクトは社会的なインパクトがあり、大きなものだったと感じています。ただ、建物が評価されることは光栄ですが、施設には「子どもを守る」という、重要な使命があります。そのため、施設の本来の目的や子どもたちの安全が常に最優先であることを忘れずにいたいと思います。
木谷:私たちの取り組みや努力の成果、そして施設が完成するまでの経緯に注目してもらえたのは、とても嬉しいことです。しかし、これからこの施設が実際に運用されていくにあたり、私たちの仕事に注目が集まるのではなく、まずは子どもたちが安心して暮らせる場所として活用されることを心から願っています。それが私たちの一番の願いです。